鯛崎島の清掃活動①(12/20)
年末を迎え、今年の活動も残すところわずかとなりました。当会の主要な活動の一つに、能島の隣りの小さな無人島、鯛崎島の清掃活動があります。年間2回(7月・12月)実施され、島の雑草の刈り取りや弁天さんの祠の清掃を行っています。宮窪漁協様の協力で島へ渡るのですが、今回は近隣の島々では雪の降るところもあった厳しい冷え込みにもかかわらず、20名の参加者が集まりました。
ところで、鯛崎島の地理的環境ですが、国指定史跡・能島城跡の一部で、お地蔵さんが岩礁にある島といえば、ご理解頂けますでしょうか。同史跡は能島と鯛崎島とがセットになって一つの城郭をなします。お城マニアにはタマラナイ散策スポットでありますが、お花見の季節に2日間だけ上陸機会のある能島に対し、鯛崎島の上陸情報はよく知られていません。宮窪住民が厚く敬う弁財天がまつられていることもあり、そのお参りのために渡船が運航されることもあります。
周囲約240m、面積約0.2haの鯛崎島ですが、上陸してみて分かるのは、島の頂部(海抜約21m)は削平され、見晴らしがよいということです(平らに造成され、城郭でいう、くるわの機能を有していたと考えられる)。削平時期は、能島同様に戦国時代と考えられますが、その考古学的調査につきましては、平成22年度に実施の予定です。ちょっと目を凝らせば、戦国時代と思われる遺物を地表面で採集することもできます。能島城跡は遺物の宝庫で、この収集は今治市教育委員会様に任せるとして、私たちは景観保護のため、雑草刈り取りに専念したいと思います。
そもそも当会が鯛崎島の清掃を行う起源は、水軍ふるさと会にあります。ふるさと会は、水軍レースや元祖・潮流体験を手掛けたことで知られますが、市町村合併前年の平成16(2004)年夏に、自分たちの役割は終えたとして解散します。メンバーの一部は、引き続いて当会の活動に加わり、牽引役を果たすことになりますが、そのふるさと会が平成4(1992)年に能島と鯛崎島の雑木刈りを行っています。
彼らの活動によって、島の段丘がはっきり見えるようになり、城郭としての魅力もひきたちました。興味深いのは、このときの作業で祠の厨子から弁天像が発見され、その文化財価値が確認されたことです。像の台座に施主や造立年が記されているようで、その詳細は『文化財散歩』(宮窪町教育員会/平成5年)や『宮窪町誌』(宮窪町/平成6年)に記されています。□永廿年と解読していますが、磨滅した□が“寛”の文字であるならば、この像は1643(寛永20)年の造立となります。ただ、八木清兵衛という人物名も記されることで、江戸後期や明治期の可能性も考えられます。
そんな歴史的背景を念頭に入れつつ、作業内容の紹介ですが、大きく2つに分かれます。1つは、その大切な弁天さんの祠内部の掃除とお供え物の交換です。弁天さんが、美しく正月を迎えられるよう、オモチ・ミカン・お酒などをお供えし、以前にお供えしたシキビの交換も行いました。作業直後の厨子の様子は、画像の通りとなりますが、神々しく、美しいお姿ですね。
もう一つの作業は、頂上平坦部の草刈りとなります。手でむしりとるもの、道具で刈り取るもの、機械を使うものに分かれ、2時間余りの作業となりました。鯛崎島にも桜の木が植えられていて、放っておくと、これを竹が覆いつくすかのようでした。史跡保存を考えるうえで、桜の植樹は好ましくないようですが(根の伸長で遺跡破壊につながる)、満開の鯛崎島で花見をするのも乙だなぁと感じました。
以上2つの作業を終えると、全員がそろって弁天さんに手を合わせ、祠の前で記念撮影を行いました。いい新年を迎えることができますように!