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宮窪歴史散歩~海南寺の酒呑み坊さん(日切り地蔵)~

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  今回は、宮窪のユニークな歴史民俗を紹介したいと思います。紹介するのは、島四国霊場の一つでもある海南寺(真言宗御室派本山仁和寺直末寺)にちなんだお話です。
  海南寺の境内は、城郭を思わせる石垣と、その上にたつ本殿・客殿・鐘楼・墓地などから構成されます。ここに、カレイ山騒動の義民をまつった若宮地蔵があることは以前にも紹介しましたが、もう一つ知っておいて欲しい地蔵さんがあります。
 それは「日切り地蔵」とも呼ばれ、日数を切って(限って)願かけをすると願いがかなうようです(7・21・49・108など、仏教で縁起のいい数字の吉祥数に効果あり)。諸病の平癒に効果があるようで、特にめぼ(めいぼ)、いぼなどの症状に効くと信じられています。しかし、この地蔵には「酒呑み坊さん(の墓)」という呼び名もあり、その由来がとてもユニークなのです。
 「越智杜氏」(とうじ)という言葉を聞いたことはありますでしょうか? 越智杜氏は、旧越智郡出身者からなる酒造労働者(杜氏)を意味し、愛媛県では西宇和郡の伊方杜氏とならぶ大きな酒造集団でした。なかでも大島(吉海・宮窪)は、優れた杜氏を輩出する地域で知られ、宮窪出身者の影響力が大きかったことで、越智杜氏は「宮窪杜氏」の名に置き換えられることもありました。そのルーツとして崇められることもあるのが、かつて海南寺の住職であった圓乗(えんじょう)で、彼につけられた愛称が“酒呑み坊さん”でした。お酒が好きだったとか、灘から酒の醸造法を島に伝えたとか、彼には酒にまつわる伝承があるようです。

  圓乗は、宇摩郡中之庄村(旧伊予三島市)の今村氏の出で、同じ大島の椋名村・法南寺住職を16年間経験した後、寛政2(1790)年に海南寺16代住職として宮窪村にやって来ます。彼は同寺の“中興の祖”と崇められ、境内を形作る庫裏・石垣・井戸などを築造し、仏具の大般若経(だいはんにゃきょう)や涅槃図(ねはんず)を調えたことでも知られます。在職22年をへて文化8(1811)年に亡くなるのですが、そんな彼の功徳にあやかろうとしたのか、いつしか墓に願いを込める人々が増えていったようです。
  では、その墓(地蔵)の場所ですが、客殿裏の墓地にあります。周辺に、歴代住職の墓や中世の宝篋印塔(市指定文化財)がありますが、それを目印にしなくても、屋根のついた祠にすっぽり覆われていますので、すぐ気づきます。しかも、「酒呑み坊さん顕彰保存会」なる組織が存在し、指定文化財でもないのに説明看板が立っているのは驚きです。墓前にお酒が供えられているのは、願かけのお礼参りを意味しているのでしょうか。お酒にちなんだ坊さんと日切地蔵とがミックスした、とてもユニークな歴史観光スポットかも知れません。興味のある方は、願かけとお酒を用意してお参りをしてみてはいかがでしょう。

広報担当 大成
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