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水軍レースの由来 ~まちづくりに賭けた男たち~

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○水軍ふるさと会の誕生
 当会が水軍レース大会のお手伝いをする背景には、会員数名が水軍レースの発足にかかわったという、同レースに対する思いがあります。
 大分県の一村一品運動が、まちづくり・村おこしの成功事例として注目され、かたや、バラマキ財源のふるさと創生1億円が揶揄されていた頃(昭和63年宣言)、宮窪町では過疎化による高齢化が深刻な課題となっていました(当時の人口約4,600人)。この時、町内に住む40歳前後の男性約10名が集い、今では伝説となった“水軍ふるさと会”(初代会長/矢野久志)を結成します。

 

○NHK大河ドラマを呼ぶ会の発足 

彼らがまちおこしグループとして知られるようになるのは、城山三郎の歴史小説『秀吉と武吉』(朝日新聞社/昭和61年発刊)を原作とした、NHK大河ドラマの誘致運動でした(大河ドラマを呼ぶ会の発足/昭和63年6月)。新たな箱モノをつくらずとも、島には国指定史跡の能島城跡があり、愛媛県からも「能島水軍の里」のお墨付きを得ていました。ナンバーワンを目指すのではなく、オンリーワンを活かしたまちづくりに舵をきります。

 そこで、当時の橋でつながった3島5町の商工会青年部と連携し、“島民1人1枚出そう葉書作戦”を展開(大島・伯方島・大三島/吉海・宮窪・伯方・上浦・大三島町)。ふるさと会が船頭役を担いながら、各種イベントを通じて、署名&周知活動を行いました。5町持ち回りで行った“村上水軍勉強会”の最終回(平成元年8月)では、能島村上家直系子孫・村上公一氏を招いた講演会も実施され、運動は大いに盛り上がりました。 一方、集まった葉書が1万枚を超えたので、代表がNHK東京本社を訪ねることに。一応、候補にはなっているとの回答を得るも、「船の復元に費用がかかる」や「当時の景観が地元にどのくらい残っているのか」などの課題が浮き彫りとなります。しかしその後も、誘致運動は続けられていきました。

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○国民文化祭「海のフェスティバル」開催 

 大河ドラマを呼ぶ会では、平成2(1990)年秋に開催される国民文化祭「海のフェスティバル」で、水軍レースの実施を提唱!ふるさと創生1億円を使った水軍船の復元を期待しましたが、5町の足並みがそろわず、夢はいったんついえます。しかし、宮窪町単独でも実施しようと、ふるさと会のメンバーは町長に直談判。その熱意に折れる形で、宮窪町が2隻の船を同祭典に合わせて建造することになりました。  ただ、町の予算をつかって、もしも祭典が失敗するようなことになれば、水軍ふるさと会は解散を余儀なくされます。彼らの持ち味は、地域史へのコダワリと熱意しかありません。メンバーは、小佐田哲男氏(海事史/東京大学名誉教授)に、時代考証に基づいた設計図面の作製を依頼。船の建造は、伯方島伊方の和船大工・渡辺忠一氏に依頼します。これによって、水軍の機動力として海原を駆け巡った小早船(こばやぶね)が復元されます。

 また、レースの方法は、かつて宮窪にあった押し船競漕の聴き取りを古老から行い、コダワリをもたせた祭典になるよう創意工夫を凝らします。“櫂”(かい)をつかった競漕が神事なら、水軍レースは和船文化の伝統を継承した“櫓”(ろ)漕ぎとすることにしました。
 宮窪港沖を舞台に開催された祭典では、小早船2隻の競漕に、長崎ペーロン・沖縄ハーリー・土佐室戸漁船らの共演が見られ、圧巻だったのが宮窪漁協の63隻の漁船が、毛利水軍が織田水軍を破った木津川口海戦(第1次)を彷彿とさせる“鶴翼の陣形”を披露。観客の間からは歓声があがり、その感動は今も宮窪住民の間では語り草となっています。

○第1回水軍レースの開幕
 祭典で手ごたえをつかんだふるさと会では、翌年の平成3(1991)年8月、宮窪の納涼祭で第1回「能島水軍レース」を開催し、15チームの参加を得ることができました。同4年には第2回が行われ、水軍レースが地元住民から受け入れられるようになりました。
 一方、平成4(1992)年に大河ドラマを呼ぶ会は解散となり、ふるさと会では次の目標を“日本一の水軍レース”に定めます。「水軍レースは、地域に根ざしたスポーツイベントであり、継続していけば観光資源としてもPRできる。船の建造などを各町に協力してもらい、行政と一体となった取り組みで事業を成功させたい」(矢野久志氏談)と。
 この思いが実り、吉海町と伯方町が1隻ずつ小早船を建造し(合計4隻)、3町共催による第1回「水軍レース」が平成5(1993)年7月に開幕することとなりました。これが、現在の水軍レースの初回となります。当初は、レース会場を3町持ち回りで計画していましたが、1度だけ伯方町で開催した以外は、宮窪町で行われています。市町村合併で3町がなくなって以降は、行政の全面的な支援が得られにくくなり(予算も削減)、ボランティアによる協力が不可欠となっています。
  平成9(1997)年度、水軍レースの開催等による魅力ある地域づくり活動が認められ、水軍ふるさと会に“ふるさと愛媛創造賞”が愛媛県から授けられました。ふるさと会の思いは、現在、当会に受け継がれています。

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広報担当 大成
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