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祝、友浦久米キャンプ場にて(4/16)

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 昨年4月にも、会員・矢野貴大夫妻の結婚披露パーティをカレイ山にて執り行いましたが、今年もお目出度いことに、当会員・松田睦彦夫妻の同パーティを、キャンプ場の穴場「友浦久米(ともうらくめ)キャンプ場」(個人経営)で行うことになりました。
 松田氏(神奈川県出身)と当会との縁は、松田氏が成城大学大学院日本常民文化専攻博士課程後期に在籍していた頃、フィールド調査で宮窪を訪れたことに始まります。現在、当会の事務局長である村上利雄氏(当時は今治市職員)の自宅などをベースキャンプに活用しながら、芸予諸島の出稼ぎの歴史を、民俗学的視点から調査に奔走していました。この模様は、平成17(2005)年10月25日の愛媛新聞記事に掲載され、モノ好きな青年がいるもんだなぁという印象をお持ちになった方々も多かったことと思います(当時28歳)。その後、松田氏は無事に卒業し、博士(学位)を取得。荒川区教育委員会文学館に勤めた後、現在は国立歴史民俗博物館研究部助教を務め、芸予諸島を調査した内容は『人の移動の民俗学』(慶有社・2010)に収録されております。
 松田氏は、浜子・杜氏・石屋といった芸予諸島にかつて多く見られた出稼ぎを、【タビ(旅)】という概念でとらえています。同著の一説を紹介すると、「島で暮らす話者の口からも、島の暮らしは貧しいという言葉が聞かれる。耕地が少なく、島には産業もなかったので【出稼ぎ】に行かざるを得なかったのだと。しかし、それは近代日本が発展する段階で培われてきた画一的な豊かさを前提とした場合の貧しさである。従来の経済一辺倒の価値観が揺らぎつつある現在、島で営まれてきた生活とその背景に培われてきた様々な観念は、我々に多くの示唆を与えてくれるはずである。」と。
  松田氏は、大学を卒業した後も、彼女(奈穂子夫人)や後輩を連れてよく宮窪へ遊びに来ました。確か、遠見茶屋の建設にもかかわっていたような…。宮窪の風土と人を愛する町外ファンは多いといいますが、松田氏もその一人であり、関東在住の今も、時折ひょっこり宮窪へと帰ってきます。今回のパーティは、そんな松田氏を慕う宮窪住民および当会員と、松田夫妻のご家族ならびに職場同僚など約30名の集まりとなりました。友浦久米キャンプ場は貸し切りとなり、夕方5時過ぎにスタートし、夜の9時過ぎまで賑やかなプチ結婚披露宴となりました。用意された海の幸の多くは、会員の藤本二郎さんが段取りし、これを調理するのは勿論、会員。話題のスモーク・スナッパーも登場し、他にもサザエのつぼ焼き・タイの刺身・鯛飯・タイ姿の天ぷら・ハギの吸い物・イカの天ぷら・小エビのかきあげ・骨せんべい…。宮窪流のもてなしの真髄これあり!の豪華料理となりました。詳細は、画像にてお楽しみ下さい。
  最後になりましたが、松田君、奈穂子さん、今後も宮窪へちょくちょく帰ってきて下さいね。おめでとうございました。

広報担当 大成
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