石文化伝承館の見所(補足編)
大島石のサンプル
世界の花崗岩サンプル
本御影のサンプル
余所国小学校跡の金次郎像
泊小学校跡の金次郎像
これまで、私は石文化伝承館に大して興味を持ちませんでしたが、石文化体験ツアーを通じて価値を再認識しました。そこには、世界の花崗岩サンプルとともに、国内の花崗岩サンプルも展示しています。本御影(ほんみかげ)・北木石(きたぎいし)・庵治石(あじいし)とともに、大島石の一等石も展示されています。大島の丁場(採石場)ごとのサンプルも展示してあり、地質学の学習館といったところでしょうか。
ここでは、ガイドの見識が問われますので、私自身ももう少し花崗岩について知識を深めなければと痛感しました。といいますのも、地域の近代産業史を調べていると、当然、実業家の墓所を訪ねる機会があります。人によっては、墓に「墓誌(ぼし)」と呼ばれる略歴を刻む方もいます。墓誌がなくても、墓石の材質で財力が偲ばれるケースもあります。例えば、わが国の母船式カニ漁業(3,000㌧級蟹工船)の先駆者である八木亀三郎は今治市波止浜出身ですが、彼の墓所(昭和13年没)は東京の青山霊園にあります。墓石は、地元の大島石を使って欲しいところですが、明らかに違っていました。ピンク色の花崗岩でしたので、これはどこの産地だろうと首をかしげたままでしたが、伝承館のサンプルを見てひと目で分かりました。正解は〝本御影〟でした。このタイプの墓石は、なかなかしまなみ海道地域では余程の資産家でない限りお目にかかれません。
ちなみに、余所国小学校跡に残る二宮金次郎像(昭和14年建立)は、大島石でできています。お隣、伯方島の北浦小学校跡の門柱(大正12年建立)は、寄付者・赤瀬林造が北木石の採石組合長の地位にあったことから、おそらく北木石でしょう。北浦住民の多くは、かつて北木島(岡山県笠岡市)へ採石の出稼ぎに行っていました。大三島の大山祇神社一の鳥居(昭和8年建立)は、山口県産の徳山石です。私が知りたいのは、宮窪の隣・吉海町泊(とまり)地区/泊小学校跡の二宮金次郎像台座(昭和13年建立)の石材です。生口島瀬戸田の耕三寺造営で、現場監督をした重松一郎(泊出身)の寄贈です。
素人目にも、相当高価な花崗岩だと分かります。そうした謎もおいおい解明し、それらの近代石造遺産も石文化体験ツアーのオプションコースにしたいものです。