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こんなところに大島石が!?(3/4)

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矢野七三郎像

  大島石の用途拡大に向け、当会としても、その歴史調査に力を入れています。かねてから、吹揚公園内(今治城跡)にある今治綿業の父・矢野七三郎像の台座石(明治44年竣工)に注目していましたが、『今治織物工業協同組合 百年史』(同組合/平成7年発行)や『愛媛県の近代化遺産』(愛媛県教委/平成25年発行)に、石材産地についての言及はありませんでした。このため、分からないものと半ばあきらめていました。
  ところが、たまたま別件で海南新聞の明治44(1911)年の記事を検索していましたら、同年6月1日付の同紙に七三郎像の工事概要が記されており、礎石は〝越智郡大島余所国産花崗石高さ1丈5尺〟とありました。当時、余所国(よそくに)地区は越智郡大山(おおやま)村、宮窪地区は越智郡宮窪村で、同じ大島に隣接しながらも違う行政区でした。このため、「余所国三者協業組合」と「宮窪大島石材同業組合」とが、同40年代は熾烈な販売合戦を演じていたと地元郷土誌に記されています。
  今回の発見は、まさに〝灯台もと暗し〟の典型例で、今治城跡のガイドやいまばり博士検定にも活用できそうです。七三郎像は今治綿業の近代化を象徴する記念碑ですが、これを下支えするのが地元産の銘石であるのは、何とも微笑ましい話です。

広報担当 大成
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